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浄土真宗の初盆と法話の意味は

浄土真宗は臨済宗をはじめとする他の宗派と違い、初盆でも盆棚や送り火、迎え火を行いません。

多くの場合、菩提寺で新盆法要を行い、僧侶が法話をしたりすることが通例です。

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浄土真宗のお盆の過ごし方は普通の過ごし方とは少し違いますが、決して御先祖様や、故人を偲んだりしないと言う事ではありません。

今回はこの浄土真宗の初盆とお寺で行われる法話についてお話します。

お盆の由来



浄土真宗のお盆では法話が大切な意味を持ちますが、

そこで多く語られるのが、

お盆の由来となったお釈迦様のお弟子さんのお話です。

少しこの話に触れてみましょう。

◆目連の母親の話

お釈迦様のお弟子さんに目連と言う人がいました。

目連はお母さまを亡くされていて、ある日、お母さまがあの世でどのようにしているのか心配になりました。

そこで神通力を使ってお母さまを探しました。

ところが、浄土をいくら探してもお母さまが見つかりません。

しかして、と思い、餓鬼道という地獄を探すと、飢えに苦しむお母さんの姿を発見しました。

目連さんは食べ物をお母さんに渡そうとしたのですが、口に入れる寸前で炎に変わってしまいます。

どうしたら良いのかお釈迦さまに相談すると、お釈迦様は

「多くの修行者の力を借り、お供え物をし、母が浄土に行けるように念じなさい」

とおっしゃいます。

そこで言われて通りに、お供え物をし、多くの修行者と共に、餓鬼道に堕ちた人々が浄土に行けるように念じました。

すると、目連さんのお母さんだけではなく、餓鬼道に堕ちた人々が極楽浄土に登って行く姿が目に映りました。

これが元になり、お盆の習慣が出来たといわれます。

初盆に限らず、お盆の仏教の法話では一番話されている内容です。

浄土真宗においては人の魂と浄土を他の宗派とは違う考えをしています。

盆棚や送り火、迎え火を行わない理由もそれによるのです。

浄土真宗で盆棚などを飾らない理由



初盆は多くの宗派の場合、故人の魂が無くなってから初めて帰ってくる期間と考えてます。

浄土真宗では 亡くなった人の魂がどうなって行くのか、臨済宗等の宗派とは少し違った考え方をします。

◆浄土真宗では死後の魂はどうなるのか?

人の魂は死んだ後、迷ったり、天国に行ったりはしないと考えます。

では、どうなるのかと言うと、

亡くなった人は即、浄土に往生すとされます。

往生とは浄土に「往き」、仏様として「生まれ」る事です。

つまり、人の魂は死後、すぐに成仏してしまっているという考え方です。

故人は既に仏として安住しているので、お盆に霊の姿でこの世にお帰りになる必要はありません。

浄土真宗ではお盆は行っても、故人の魂を迎える盆棚や送り火、迎え火、魂の乗り物とされる馬や牛を供える必要もないのです。

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浄土真宗のお盆はどのようにするのか



浄土真宗では特別なお飾りをすることもないですが、

故人を供養するために行うのではなく、

縁ある亡くなった人を通じて仏法を聞いて、

迷っている自分を教えてもらう期間という意味合いが強くなります。

自分たちの生き方を見つめ直す時、と言う捉え方です。

この時にすることは

・仏壇(お内仏)、仏具を綺麗に掃除して、お参りをする

事です。

具体的な準備については

初盆 浄土真宗のお布施と準備の諸々

を参考にしてください。

この時に自宅に僧侶を呼んでお経を唱えてもらい、仏法の話を聞いたりします。

また、盂蘭盆会には寺院行事である法話が行われることも多く、

浄土真宗のお盆ではこれらに参加することが基本になりますから、

足を運んで僧侶の話に耳をかたむけるようにします。

ですから、浄土真宗のお盆では法話と言うものがとても大切に考えられます。

法話とはどういうものか



浄土真宗のお寺では初盆の時も合同の新盆法要として、

身内や親しい方を亡くされた方々がお寺に集まり、

僧侶の法話に耳を傾けることが多く行われています。


法話とは

阿弥陀如来の救いの法を讃嘆すること

です。

難しそうに聞こえるかもしれませんが、僧侶の方は分かりやすく、より親しみやすくお話してくれます。

この法話を聞くことで故人を追慕しつつ生きていることに感謝し、

仏法を依り所に力強い人生を歩むことの大切さを知るのが浄土真宗の初盆(新盆)です。

こう言った意味での法話ですから、聞く側の家族も漠然と聞くのはもったいないですね。

初盆の法話



初盆の時の法話は大切な人を亡くした人たちの苦しみや辛さを和らげるように僧侶が計らってくれます。

ある例をあげてみましょう。

◆悲しんでも良い

この法話の中ではいろいろな迷信や回りの声に惑わされないようにと言う事が伝えられました。

・悲しんではいけないと言う迷信に対して、

「不幸なことが続くのは、亡くなった人が迷っているから」
「死んだ○○が心配するから泣いてはいけない」
「いつまでも亡き人のことを想い続けると成仏できない」

と言う事がよく言われているが、亡くなった人は迷ってもいないし、生きている人たちを呪ったりしない。

私たちは縁によって生かされている。

涙があふれて悲しみが襲ってくるのも、その人との縁があっての事です。

涙によって亡き人に出会い、亡き人を思い出すことで自分自身を見つめることになる。

その人との別れを通して心に起こる様々な思いは亡き人から与えられたもの、これからの人生の道標になる。

それを打ち消したり、我慢することは無い。

初盆の法話は苦しみや悲しんでいる人を解放してくれるかも知れません。

少なくとも気持ちが楽になることは間違いないでしょう。

また、法話をどう受け止めるかも大切になります。

法話を聞くときの心構え



心構えと言ってもそれほど堅苦しく考える必要はありません。

法話の席にいるという事は故人への想いがあるという事でしょう。

より深く法話を受け止めるには次の事を心に留めておきましょう。

・ありのままの姿、ありのままの心を見つける

教えを鏡として自分を見つめる事です。

自分も気づかなかった自分の姿に気付く事が大切です。

自分の外に答えを見つけようとする必要もありません。

・ありのままの自分にかけられている仏さまの願いに気付く

それは心、姿、ふるまい、全てを含みます。

今の姿で生かされている意味を感じ取れればより人生が楽しくなるかもしれません。


難しく聞こえますけれども、実際の法話は聞いていいて楽しく、いろいろな気付きがあります。

特に初盆ではなくても、浄土真宗ではなくても法話を聞くことも出来ます。

法話案内、と言うサイトは法話を聞くことのできるお寺の情報を載せていますので参加してみたい方は是非。
http://shinshuhouwa.info/

浄土真宗の初盆は他の宗派とは準備の手順も違いますし、故人を偲ぶ意味合いも違ってきます。

もし、分からないことがあれば、お寺に直接聞いて差し支えありません。

初盆は自分を見つめ直す機会でもありますから、是非、法話に耳を傾けてみてください。

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