大晦日の定番として日本全国で食べられている年越しそば。
縁起物として知られていますが、大晦日のいつ食べて、いつから始まったのかは案外あいまいなものです。
今回はこの2つの点について紹介したいと思います。
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始めに
食べる時間について
次に
どんな縁起を担いで食べるのか
最後に
その起源について
触れていきます。
では、時間帯から見ていきましょう。
年越しそばはいつ食べる
年越しそばは大晦日の何時ごろ食べるものなのか?というと、
地域によってまちまちです。
よくテレビの中継ではお蕎麦の名店にはお昼からお客さんがたくさん来ていますから、
お昼に食べても差し支えないでしょうし、地方や都心でも違いがあるのかもしれません。
一般的には、大晦日の夜、というご家庭が多いのではないでしょうか。
帰省した時には地元の習慣に合わせて家族とともに年越しそばを食べるようにするのが良いでしょう。
都心部では様々な地域出身の方や家庭も多いでしょうから、
そのご家庭ごとのタイミングでということで良いと言えるでしょう。
年越しそばを食べる理由
年越しそばは様々な願いを込めて食べますが、
・長寿を願う
・一年の厄を断ち切る
・金運アップ
の3つがよく知られています。
それぞれについてみてみましょう。
1、長寿を願う
蕎麦の細長い麺から、細く長く生きる、ということは連想しやすいですね。
一般にはこのことがよく知られています。
2、一年の厄を断ち切る
細く長い一方で、蕎麦は切れやすい、という特徴を持ちます。
このことから、その年の災厄を断ち切って良い年を迎える準備をする、という意味が定着します。
蕎麦の味は小麦粉の少ないものの方が良いとされていますが、良く知られた二八蕎麦は蕎麦粉8割、つなぎ2割で作られています。
全て蕎麦粉で作られた蕎麦を十割蕎麦と言います。
十割蕎麦は切れやすいことから、この意味では年越しそばに向いているかもしれません。
私個人的には食べている途中にぶつぶつ切れるのは余り好きではないので、程々にコシのあるものの方が好きです。
3、金運アップ
一般的には余りピンと来ないかもしれませんが、そばは縁起物とされていました。
昔、金銀細工をする職人たちが、仕事の最中に出た金粉や銀粉を集める時に蕎麦粉で作った団子を用いたことから、金を集めるもの、とされていました。
ここから金運アップの縁起が担がれるようになります。
また、蕎麦自体がやせた土地でも生育することから、健康運を願って食されてもいます。
先程、蕎麦が切れやすいことから、借金やお金の苦労を来年に持ち越さない、という意味も込められています。
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年越しそばの起源について
年越しそばの起源には諸説あります。
年越しそばは庶民の間に江戸時代中期までに定着します。
文献では、現在のような麺状のそばが江戸や本州で確認されるのが16世紀後半であることから、今でいう年越しそばの風習は江戸中期以降であるとされています。
そこに至るまでは、様々言われていて、どれもそれらしいように思いますが、本当のところははっきりと分かっていません。
1、鎌倉時代が起源説
鎌倉時代には「運そば」というものがありました。
これは現在のそばのような形状ではなく、団子状のものだったようです。
1242年に聖一国師と宋の貿易商、謝国明が年末に博多の町の人々にこの運そばを振舞ったところ、翌年に日宋貿易が盛んになり、町が活気づいたということです。
これにあやかって、年越しには「運そば」を食べる風習が根付いて全国に広まったと言われます。
2、室町時代が起源説
室町時代に関東の長者の一人、増淵民部という人が大晦日に家人ともども「そばがき」を食べ、無病息災を祝ったと言われています。
これが年越しそばの起源になったと言われています。
3、江戸時代が起源説
江戸時代には月末にそばを食べる風習がありました。
これを「三十日そば」と呼び、のちの年越しそばの風習として定着したのではないかと言われています。
また、「三十日そば」という風習は先程の増淵家が発祥とも言われています。
江戸時代には蕎麦は現在の麺に近い形状の「そば切り」が定着しています。
いずれも、くる年の幸運を祈る、という気持ちが起源になっていることに違いは無いようです。
年越しそばに限らず、そばの薬味には葱がつきものです。
これは「労う」という言葉と「葱」掛けたようです。
何気なく習慣として食べていた年越しそばも今年は一年を振り返りつつ、来年への期待を込めて食べてみてはいかがでしょうか。
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